父親の現在と未来(2023.8.20・2023.9.3)

#1 「現代の潮流」(NHK、1996)

はじめにNHK製作「現代の潮流」1996年製作(90分)を観ました。この番組は55歳の時の私が狂言回し役で4人の人物の家族論を聞き、そこから現代家族に関する父親の役割を捉えようという遠大な企画をもとに作られたものです。33年前の私はさすがに颯爽としていて、これを観てからはそろそろ引退しようかなと考えるようになりました。この映像記録は収録後直ちにVHSの形で私の手元に届いていたものですが、先月になって押田さんにDVDへの焼き直しを頼んでおいたものです。

番組の中で私の対話相手になって頂いたのは4人、作家の吉永みちこ氏、精神分析学者の岸田秀氏、京都大学霊長類研究所(犬山市)の山極寿一氏、それに先輩というか恩師と呼ぶべきかという存在の小此木啓吾氏です。吉永さんは『家族病』という本を書かれていたそうで、その本のことやご自分の子育てのことを話されていたと思いますが、私は相槌打つのが精一杯で良く覚えていません。そもそもNHKから企画が持ち込まれた段階で私が望んだのは山際氏だけで、もう少し名を挙げてといわれて辛うじて出てきたのが小此木氏。後の2人のかたはNHKが用意してくれたのです。吉永さんの住むマンションや岸田邸を探した頃の雨ふりや手に持ったビニール傘の感覚は良く覚えているのでこの2軒には雨の日に続いて尋ねたのだと思います。

愛知県犬山市には日が改まってから昼頃着いたと思います。愛知県とは言っても殆ど岐阜県と接していて緑深い処でした。山極氏は後に京都大学総長になられたヒトですが、快く迎え入れて頂いて主としてゴリラとボノボの家族について語ってくれました。ゴリラは一雄多雌のハーレム集団で暮らしています。因みにゴリラ・チンパンジー(コモン・チンパンジー)、ボノボ(かつてピグミー・チンパンジーと言われていた種)では家族(ファミリー)という言葉を使わずバンド(集団)と言います。主として親族から成るコミュニティの中にあるのが家族でヒト(ホモサピエンス)の場合、数万年以上にわたる狩猟採集期を通じて単婚(1雄1雌)であったろうと考えられます。ゴリラのようなハーレム集団(多雌の子どもたちを含む)を抱えての狩猟採集生活は考え難いからです。もちろん数家族による共同狩猟はあり得たでしょうが。

私が訪問した1996年は、京都大学霊長類研究所が観察調査地にしていたコンゴ民主共和国の内陸側隣国であるルワンダで、多数派フツ族による少数支配層ツチ族に対する虐殺が話題になっていた1994年の直後でした。それこそ映画『ホテル・ルワンダ』の恐怖が身近だったときで、山極氏は「ここ数年、内戦が危なくて調査に行けてないのです」と言っておられました。で、説明は専ら数年前の山際氏が撮影されているゴリラ・バンドへの接近と、一度観た顔は忘れないというシルバーバック雄(成熟雄)との出会い、その際に交わされる挨拶音(喉鳴らし音)と警告音(咳に似た喉音)について説明してもらいました。ボノボについても見せてもらったのですが、私は彼らの乱交期を撮影した『ナショナル・ジェオグラフィック』誌を観たときの恐怖感(発情期の雌の真っ赤に膨張した陰唇)が記憶から離れないので警戒しましたが、この際に見せられたのはいかにも気楽そうな数頭の成熟雌たちで安心しました。ボノボは230年前ほどに生じた地殻変動によってコンゴの密林から大河によって切り離された局地の密林に住むことになったチンパンジーの変種で、コモン(普通の)・チンパンジーに観られるような雄による雌へのいじめや支配がなく、むしろ雌たちによるレズ同盟的な雄への対抗が目立つ種です。コモン・チンパンジーで観察されている種族間のウォー(戦争)と呼ばれる一集団の雄全員と子どもたちの殺戮と雌集団の略奪は見られず、集団同士の出会いは数頭の雌同士の挨拶に始まり、やがてレズビアニズム的性行為に進み、最終的にはその場に居合わせるボノボ総体(幼体を含む)による第乱交パーティへと展開するそうです。これだけ性技に熟達した種とはいえ、現在、野生ボノボの個体数は1~2万と推定されていて絶望的な絶滅危惧種です。

このDVDでは岸田秀氏が母親の一方的な熱愛と期待の重荷に苦しんだと話しておられたのも印象的でした。そのために岸田氏は思春期にノイローゼ(お話からうかがうと対人恐怖)になられたそうです。岸田氏は『ものぐさ精神分析』などの著書と人間の履歴全てを幻想の結果と説く唯幻論で有名な人ですが、彼の精神分析学はフランス留学以来のものだそうで、そうなると私にも多少理解出来るところが在ったかも知れません。考えて見れば非臨床家である精神分析家として直接お目にかかったのは岸田氏だけでした。その後も浅い交流はあったのですが、今となってはもう少し深い部分で教えを頂けた筈の人だったと今になって残念に思います。

小此木先輩には「父親の役割って何でしょうね?」と突っ込んでみました。テレビカメラの前の小此木氏は至極真面目な顔で、「母親と子どもの密着にハサミを入れることですね」と丁寧に答えられた。思えば師の顔をまじまじと見た最後の機会であったと思います。

以上が「現代の潮流」をRAカフェで皆さんと一緒に見た時の感想なのですが、私は犬山市からの帰りの車中で、とんでもない発言をしていたことに気づかされました。とにかく律儀な撮影隊(クルーというのでしょうか)で、何かというと私を撮影していたので、帰りの車中で退屈していた私まで映されていたのですが、私は1人語りの態で「隣の緑は青いって言いますよね。まぁ、そんなことかな、羨ましかったです」と言っています。これは多分撮影に同行したディレクターから、「霊長類研究所を見てどう思いましたか?」のような質問を受けた発言だったろうと思います。そこまでは良いのですが、その後の発言がヤバかった。

「まあ、私の場合も、何もやってないですからね。山極教授と同じでただ見てるだけ。この「ただ見てる」というのが大事なんですよ。もっとも私のところはアチラからやってくるからね。山極さんみたいにリュック背負って重装備することはない。楽って言えば、そこが楽ですね」と言った。それはよく覚えているのです。でもその一部が音声記録に残されていたことは今回初めて知った。というのも当時アチコチの家族もの取材の対象になっていて、最近の新型コロナ学者よろしくいろいろ撮影されていましたから、NHKから送られてきたこの貴重な記録もしっかり観たのはこれが始めてだったのです。RAカフェという場があったから、皆さんと観てみようという気になったとも言えるでしょう。

 

#2 父親の現在と未来

このテーマは当然のことですが上述の記録映像を承けたものです。というか、今までの私の家族に関する著述の全ては父とは何かに関連していて、「父親を再定義する」というテーマにそったものだけで独立した論文が7本、それに関連した者が数本見つかりました。この日はそれについて現代日本の課題とされる「少子化・高齢化」対策とその唯一の帰結である「シングルマザーが生きられる社会」の設計図について皆さんと語り合いました。

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〈資料〉OECD, Trends Shaping Education 2019

少子高齢化については皆さん耳タコ状態だと思いますが、当日私が皆さんに「最小限の統計」として示した図は横軸が年次、縦軸が婚外子割合を示した表です。その日に示したのは30年も前の資料ですが、皆さんのパソコンかスマートフォンで最新の資料を見ても同じような表を見るでしょう。スウェーデンを初めとする北欧3国は当時から新生児の婚外子率が50%を越えていました。当時30~50%のあたりにあったフランス。イギリスなどは今では50%を越えています。一方、表の下の方、ゼロ%の近くをうねっているのが日本です。日本におけるこの婚外子率の極端な低さこそ、少子高齢化の原因でもありけっかでもあるのです。断っておきますが、北欧3国やフランスの女性たちが乱婚の結果「私生児」なるものを産んでいるわけではありません。彼女たちにはそれぞれパートナーがいますが、結婚という制度が彼らにとってそれほど魅力的とは見られていなかったということです。

日本の女性たちが子生みを望んでいないわけではないことは各種の世論調査が示しています。ただ生涯を託すにたる男性パートナーがいないということなので、「それでも産める」制度を作れば良いのです。一児出産につき月に15~20万円を国庫から給付するというのはどうでしょう。この場合、出産から間を置かずに国ないし自治体がその子に「市民ナンバー」を付与し、同時にこの新生児の安全を確保するための機関(指導相談所、育児支援施設、母子支援センター等)が新生児の安全を見守る体制を取る必要があります。給付はあくまで新生児に給付されるものであり、その母は新生児の保護者として別に手当が割り当てられ、その金額は第2児、第3児と数を増すに従って高額化するので、やがて「母親」はそれ自体「業」とよべるようなものになることを計るべきです。

こうして新生児は出生の数日内から日本国民として登録され、日本政府を父親として生育します。子どもは原則として母親の哺育・管理を受けますが、4~6歳からは地域ごとの子ども集団教育施設(学校)に12歳まで入れられます。今の学校と違うのは年齢輪切りではない低年齢から高年齢混在にすることで、その集団は管理の任に当たる教育者に率いられますが学習集団ではない。これを聴かれている皆さんにはお馴染みのミーティングのためのクラスで在校時間はだから数時間以内です。一方、学習の方は市内に散在する数市各社が国語、算数などについて個別指導し、数週に一度、公的試験によって各教科の習得度がテストされ、基準を満たせば教科部分は卒業となります。こうした教科ごとの満了がいくつか続けばその学年は終了となりますが、それが整わなければ幾つになっても一学年の卒業とはなりません。知的発達遅滞のためにこの種の試験がクリア出来ない場合には、その障害の程度別に別の進学コースが用意されます。これとは逆に教科満了速度が速い一部(5%以内)の子には将来のエリートを育成するための特別なコースが用意され、年齢は問わずに一種の天才教育が行われます。

標準的には13歳になると教育グループの再編成が行われ、これまた年齢縦断的な13~18歳のグループが入れられます。全て共学です。というのもこのグループの主な目的の1つは各自の属する性や性別について学習することだからです。先生たち自身ないしポルノ俳優たちが実際に性交してみせます。性についての古典的な決まり事は歴史的事実として教えられますが、同時にポルノグラフィーとして子どもたちから遠ざけられてきた古今の文献についても閲覧自由になります。逆に言えば社会におけるポルノ産業は壊滅することになるでしょう。一般教科は12歳以下の場合と同様に、資格を持った教師たちに担われます。この場合、教師たちの間では生徒獲得を巡る自由競争が激化するはずで、生徒たちもまた18歳時になされるエリート教育予備校へ進む許可(フランスで施行されているバカロレアのようなもの)を巡って厳しい競争を続けます。こうしてエリートを沢山産むエリート教師が金持ちになります。

13歳以上の子どもたちが通う教育グループはデートの場でもあるので、妊娠や出産はこの頃から起こりえますが、人生のエリートを目指すか、母になるかを選ぶことは当人の決断次第です。そこに父母が助言を与えることは大いにあり得るでしょう。

ここまでの記述で、男=父とされていないこと、そもそも父の役割について殆ど語られていないことにお気づきと思います。そうです。女性が出産するにあたって責任を持つはずの父親の役割が、このシステムではごく軽くしてあるのです。言い換えれば、男たちは全力で「この子の父だ」と主張しなければ父親に任じられない。父なしでも子は育ち、その母も夫無しで困らないようにしてあるからです。子が幼いうちは母親の性欲だけが夫を受け入れる動力になりそうですが、ひとたび単婚性が崩れれば「女の本音」、つまり実は「私ホントは女が好き」が露呈されてきますので、夫として受け入れてくれる道は厳しい。男たちの多くは既述の「教師」となって我が子に接し、家ではゲイ仲間と暮らすことになるでしょう。しかし、このこと事態は現状から大きく離れているわけではありません。というのも、現今の社会そのものが実はゲイ社会なのであって、我々、日本の男たちは強力なブラザーシップの中で企業戦士等を勤め、イヤイヤながらに女たちとの夫婦生活を営んでいるからです。以上が私の描く「明るい未来社会」の基本設計図です。細々したことは全て省いてありますが、その目指すところはご理解頂けると思います。

次回(2023/9/17)は、ミシェル・フーコー『狂気の歴史』『監獄の誕生』についてお話しします。

2023/09/05 斎藤 学