変態とは誰か(2023.9.10)

この日は戦後日本の知識人(と称されている人々)を攪乱した3人のフランス人思想家の紹介に当てました。精神医学というのは元来、ヒトそのものの行為の社会性(狂気と正気の鑑別)を問う学問なのですが、それを論じるには人間の行為の根底にある構造に触れざるを得ないと思いましたので、その視点から「知の考古学」を開いたミシェル・フーコーという人を紹介しようとしました。しかしそのためには、そもそも構造主義とは何かを説明する必要があると思い、クロード・レヴィ=ストロースの樹立した構造主義について知ってもらわなくてはならないと感じました。しかし、構造主義が壊した対象を知らなければレヴィ=ストロースの仕事を説明出来ないと思ったので、戦後の数十年間、知識人を自認する人々の頭上に君臨したジャン・ポール・サルトルの紹介もしなければならない、ということで3人まとめて紹介してしまえという乱暴なことになりました。

方法としては「夏月(なつき)」と名乗る人が30分ほどでまとめてくれているYouTubeの解説を使わせていただきました。3人の人となりと生涯を通じた言論活動を30分足らずで紹介する能力を私は持ちあわせていませんし、彼らのメッセージの伝達者になる気もなかったからです。

私は彼ら哲学出身者の言活動やエピソードを遠くから眺めていた哲学素人の一人に過ぎません。しかし、このところ共依存という概念の見直しや性倒錯論に関して持論をアウトプットしておこうという段になって、彼らの見解に触れざるを得なくなってきました。

 

#1 ヨーロッパ人が神を捨てることの怖れ

サルトルの無神論は有名なはなしですが、そのことがサルトルを特色づけるという点で彼は充分にヨーロッパ理性論の一端を担う人です。4世紀末ローマのテオドシウス帝がキリスト教を国教と定めて以来、ソークラテース、ブラトーン、アリストテレスの系譜を初めとして受け継がれてきたあらゆる知的営みが反宗教的として葬られました。

17世紀のデカルトから始まる悟性(知性)論の哲学とは神を捨てた時点で一人世界に起つことになる人間の理性というものの確実性と一体性の担保を巡る話しであったと思います。

その件については後日お話することもあると思います。

サルトルになるといきなり無神論から始まります。とはいえ無神を宣言しなければならないこと自体、神に囚われた発想です。無神論は人間中心主義論ですが、これも人間礼賛というよりは神を捨てたことの孤独に偏るのがサルトル的思考です。石ころのようにそこらへんにあるモノ(こうしたモノを「即自」存在 an Sichとドイツ語で呼んだのはヘーゲルで、サルトルはこれをen soi〈オンソワ〉とフランス語でいいます。他方、これを「私」というに人格に引き寄せたpour soi〈プールソワ〉、ヘーゲルだとfür Sich)という用語があって、「対自」と訳され、自己認識といった意味です。ヨーロッパ哲学ではこれらに並んでpour autre〈プールオートル〉(ヘーゲルのいうfür Ander)というのがあって「対他」と訳されています。

サルトルの場合、この「対他」が「自由という刑罰」に結びつけられていて、他者の目に占有された自己が、他者の視線の網にからめ取られ、自己が疎外(alienation)されていくという危険が生じ、眼前の状況から身動き取れなくなる。この一種の「正反対立」状況から抜け出す手段としてサルトルが提示しているのが眼前状況への自己投入、ないし参与、参加、カタカナ英語で言えばコミットメント、フランス語カタカナならアンガージュマン(engagement)です。

サルトル(1905~1980)は現在考えれば、脱・神学論の正当な継承者の一人に過ぎないと思います。決して本物の反逆者ではない。しかもその脱・神学論(デカルト→ヘーゲル)そのものが私にとっては奇妙で退屈な迷路に見えてしまいます。しかし戦後の一世風靡ぶりを体験している(彼が死んだ時、私は39歳)私たちからすれば、「グズグズしてないで今すぐ状況に身を投じろ」というサルトルの声は、不思議にお洒落に響いていたのです。

 

#2 ヒトは構造の奴隷

クロード・レヴィ・ストロース(1908~2009)が私たちに届けてくれたメッセージは、サルトルがパリの喫茶店から世界に伝播していたものを根底から相対化するものだったと思います。この人はヨーロッパの街のおしゃべりの中からは決して見えないものを南米の樹海に棲む部族社会の人々との触れ合いの中に見出したのです。それはヒトの行動を縛る基本的ルールの一端に触れるものでしたので、この発見から導かれたルールが実在する証拠を求めて、諸部族(欧米社会では「未開」と思われていた集落)における人間関係、特に婚姻のパターン観察を積み重ねます。こうして見えてきたのが近親姦を避けるために部族内の娘たちを他部族に嫁出しし、部族内の独身男性が、また別の部族から嫁を貰い受けるという「贈与のルール」です。これが繰り返されることによって50~100人の集落は嫁を出した集落、嫁を貰った集落との間に親族関係を築き、50~100人集落は、150~300人の親族社会を形成し、更に時間とルールの繰り返しによって現関係が網の目のように稠密になれば地域(コミュニティ)と呼べるものになります。

この「贈与のルール」は「交換の契約」というものであり、ここから貨幣を用いた洗練された商業社会への展開は、それほど遠いものではない、ということに気づかせてくれる力がレヴィ・ストロースの著作にはあります。そもそも「贈与」の中味がなぜ男性ではなく女性であったのか、なぜ近親姦タブーを前提にした子作りがヒト社会の「基本構造」になったのかといった思念は私たちの関心を最近の染色体・分子遺伝学の驚異的発展に導きます。また、6~3万年前、狩猟採集民だったヒト種に発生した認知流動性の獲得 (スティーブン・ミズン『心の先史時代』、1998、青土社)、つまり「ヒトの心の発生」にも繋ぎます。そうなると、「神」の在・不在どころの話しでは無い。ヒト種は何故、如何に「神」という大嘘(虚構)を必要にしたのかが問われなければならない。またヒト・ゲノムの加工が可能になった今、ホモ・サピエンスからホモ・デウス(ヒト種の神化)の可能性も語られるようになりました。しかし、宇宙と身体細胞と元素についての知識が増すにつれ、私たちは比較的早い未来に(といっても数千年~数万年)、種として断絶するであろうことを理解しつつあると思います。そもそもこの惑星(地球)そのものが水も酸素もマグマも失って、ただの冷えた元素群の塊に化すという現実は確定しているわけですから。

というわけで、私たちは超長期的にはビッグバンから始まる宇宙の開始から、身近なところで言えばAGTC(アデニン、グアニン、チアミン、シトシン)という4種のアミノ酸の組み合わせからなる染色体情報というものを母親、父親からそれぞれ1本ずつ貰い受けた2本46対の遺伝子情報によって描かれた設計図に沿って誕生し、育ちました。私たちに「私」という幻想を与えているものの実態は、上記の設計図通りに作られた脳を含む身体各器官です。宇宙の発生から、染色体遺伝子情報にいたるまでの無数の物理学的、生化学的、生命科学的ルール、これらが私たち個々の人生を決定する「基本構造」で、私たちはそのルールに逆らうことの出来ない奴隷です。

 

#3 「変態」とは誰か

それはそれとして、私たちはわずかな人生の中で目の前を塞ぐ壁に阻まれ、足下のぬかるみ、数々の躓きの石を避けつつ、他者からの受容や愛を求めてさまようヒト種の一個体です。

同種の人々は地峡上に80億人ほど居るようですが、私たちのまわりに見えるのはせいぜい150~200人の知人でしょうし、いつも接しているのは10~15人くらいの職場や学校の知人、家族というと2~5名、単独世帯主である人も少なくないでしょう。

あなたがヒトである限り、あなたはそうした他者の感情や思考を忖度し続けて生きているために疲れ果てているのではないでしょうか。中には疲れ果てて、自分の巣に閉じこもり、周囲からは奇人、変人、果ては狂人ないし変態と思われている人も居ると思います。狂人も狂人なりに、そうなったについては事情も理由もあるのですが、この名称は他者(社会)が決めるものですから、もろもろの言い訳は決して聞いてもらえません。

そうした狂人に取り憑く「狂気」なる呼称の由来(故事、歴史)を述べたのが『狂気の歴史』(1961)です。歴史そのものが、事件の発生した場所や、そこで用いられた諸物、それを行った諸人の時間的推移をたどるという点で「構造主義」的です。この本では「狂気」が所与のものとされず、特定の空間とそこに詰め込まれた奇人、変人、変態、小悪党(犯罪者)、売春婦、のらくらもの、なまけもの、家出人、食い詰めた貧乏人、そして精神病者たちが語られます。そうした変人たちが一般人、健康人。保護されるべき納税者、「普通の人」を保護すべき権力者の権力行使という人物群との間に交差する力動(と言っても追い払うだけの一方的なものですが)として描いているところが秀逸です。「描いた」と言っても小説家のように空想したのではありません。主としてある図書館(スウェーデンのウプサラ大学、近世医学コレクション)にあった驚くべき量の微細な歴史的資料からのパッチワークですが、そのワークが著者の厳密な構想のもとに行われているのです。

この歴史の場所は、かつては癩病者を隔離し、更に以前17世紀には黒死病の遺体投げ込み地だったようなパリ近郊のサルペトリエール(男性狂人収容施設)やサンタンヌ(女性狂人収容施設)などのアジール(英語ではアサイル)で、今はパリ市内になっています。これは、江戸時代、板橋の人足(にんそく)寄場(よせば)から巣鴨の癲狂院(てんきょういん)へ、そして東京都立松沢病院への移行と似ています。今では板橋も巣鴨も、かつては狸の出入りしていた松沢村でさえ東京都23区のひとつ世田谷区に属しますから。こうした空間に入れられた世間からのはみ出し者たちのうち、賢い者、使える者、美人、律儀者、奉公可能な者たちは次々に各所方々の必要とする人々に引き取られて行きました。悪漢や泥棒や詐欺師は隙を見て逃げ出しました。そして残ったのが狂人と呼ばれるようになった人々で、施設は精神病院と呼ばれるようになりました。因みにサンタンヌは私の留学先ですが、私が居た頃は精神医学センターといった名前でした。

著者のミシェル・フーコー(1926~1984)はフランス上流階級出身の同性愛者で、一時期ゲイの人々の間に猛威を振るったHIV/AIDS関連感染症により58歳で死にました。彼が生きていた頃のフランスでは、同性愛は立派な変態(性的倒錯)でしたから、このことには大きな意味があります。フランスで同性間ないし異性間の事実婚を合法(基底の書面を公証人に手渡すか、市役所に直接持参して登録する)とするPACS(Pacte Civil de Solidalité、民事連帯契約制度、フランス民放第515-1条)が成立したのは1999年になってからです。

既に学童期にゲイを自覚していた彼は生涯にわたって変わり者、罪無くして罪を問われる者を自覚していたと思いますが、特に知的エリートの集団の中で学業ストレスの増した22歳、高等師範学校(エコール・ノルマール・シュペリエール)の学生だった時と、24歳大学教員資格試験に失敗した時との2度、自殺未遂を経験しています。

22歳の時にはサンタンヌに送り込まれたことをきっかけに、精神医学・臨床心理学領域に関心を向けるようになり、24歳の時は、先輩のマルクス主義哲学者ルイ・ピエール・アルチュセールによる便宜と助言によって切り抜けました。便宜とは医務室をフーコーの個室として使わせてもらえるようにしてもらったこと、助言とは「精神分析で治そうとするな、仕事に集中して病気を乗り越えろ」ということだったそうです。「個室にこもり、仕事に没頭して治せ」というのですから、これは森田療法です。で、その仕事というのがマルクス主義哲学研究ですから、フーコーは共産党員になりましたが、3年過ぎて「病気」が気にならなくなった頃には共産党から離れました。このことは彼のような「病気」の治療と回復について深く考えさせられます。

ミシェル・フーコーはその後スウェーデンのウプサラ大学でのフランス語教員の職を得て、この数年の間に同大学の図書館を存分に利用して博士論文の草稿を書き上げ、1960年母国へ帰った翌年に出版します。これが『狂気の歴史』(1961)です。その後の彼はクレルモンフェラン大学、チュニス大学などで哲学教授をつとめ、1970年にはコレージュドフランスの会員として生涯を過ごします。

この間に彼は数々の著作を残しますが、私たちにとっての最大の贈り物は『監獄の誕生』(1976)でしょう。ここで私たちはバナプチコンという建築様式を識らされます。それはミシェル・フーコー自身の設計によるものではない刑務所的建物で、実際にこれに基づいた収容所が建てられているそうです。ドーナツ型の建物で、穴の中央に監視塔がある。穴を取り巻く円形の建物は独房によってしきられている。円の外側は壁で覆われ外が見えない。独房には監視塔向きに窓が穿たれ監視塔からは中の囚人がまる見え。一方、監視塔の方は周囲に窓があるものの遮蔽カーテンによって独房側からは見えない。つまり囚人たちは見られ放しにされつつ、監視塔内に人が居るかどうかわからない、という構造です。

人の心というものが現在の人のようになって以来、人はいつも他人を忖度してパナプティコンに収容された囚人のような気分で過ごしてきたはずです。監視塔の中の権力に怯え続けるのが人です。人と名付けられる全ての者の心のなかに監視塔が宿っていて、それを意識しながら普通の人のフリをする人々は例外なく変態です。これが極論と思える読者のために念押しの事実を挿入しておきましょう。ヒト属ヒト種は好色のために他の類人猿を押しのけて地球上に満ちましたが、その成功は好色を徹底的に隠すことによって達成されました。私たちは好色で老若男女を問わず常に繁殖のための性交の機会をうかがっていますが、けっしてそのための身体器官(性器)を晒して他者を誘惑しようとしません。「ドント、ウォリー(A)」「アイムウェアリング、パンツ(B)」なのです。そしてこの種のお笑いは皆さん大好きなのです。セリフAが私たちに与える緊張、スリル、それがセリフBによって一気に解放されるところにこの寸劇の爽快さがあります。ということは、つまり私たちはいつもセリフBについて監視塔の存在を気にしている変態というわけです。

2023/10/10 斎藤学