蒸発する親たち

2010年、100歳を越えためでたい長寿者ということで地域の祝賀の対象になっていたような住民が実は失踪していて、そのことを子どもたちも気にしていなかったりする事件が立て続けに顕らかになった。
最初に話題になったのは失踪ではなく、死んでいないことにして亡き配偶者や親の高齢者福祉年金を詐取していた犯罪であったのだが、それをきっかけに高齢者が健在であるか否か調べたところ、あちこちから生死不明な高齢者の存在が出てきた。
以下はその頃、雑誌『更正保護』の特集「親子関係」の巻頭に載せた文章である。

亡父が支えた生活
2010年8月、東京都足立区で、戸籍上では生存し111歳になっている男性が、居室で白骨化した状態で発見された。彼は30年前に死んだのだが、同居していた妻(元教員)も長女も何故か死亡を確認しようとはせず葬儀も出さず、彼のために支給されていた高齢者福祉年金を受け取り続けていた。やがて妻も死んだ。彼女の遺族年金(支給対象は配偶者のみ)はかなりの金額であったが、彼らの娘(80歳代)と孫娘(53歳、20歳代から社会的ひきこもり)は111歳男性が生き続けていることにして年金を受け取り続けていた。警察は捜査を開始し、なぜか孫娘だけを逮捕した。おそらく80数歳になる長女を拘置しても介護できなかったからであろう。これに先だって東京都で最高齢とされた113歳の女性が、実は10数年前から居住地(杉並区)を離れ所在不明であることが話題になった。この場合は、住民表に記された居住地には80歳代の娘しか居らず、娘は母親が弟(80歳代)のところに居ると思い込んでいたとのことだが、要するに高齢化した子どもたちの日常にとっては、母親であろうと同胞であろうと、生まれ育った家のことなど考えるに値しなかったのであろう。

東京での居住不明老人に関する2件の報道が100歳以上老人の生死に関する人々の関心を引くと、各地に同様のケースがあることがわかってきた。戸籍と住民票の電算化された資料は総務省に蓄積されているが、これらを照合したところ戸籍上生存している100歳以上の人々の中で現住所が確認できない者が全国で234000人であるという(2010年9月10日)。中には足立区のケースのように年金不正受給という犯罪もあると思われるが、年金が現在のように整備されたのは現在80歳前後になった人々からであるという。

なお、こうした問題が背景にあるのを念頭に入れてのことか日本人の平均余命の算出に当たっては100歳以上人口(戸籍上の最高齢は157歳で、今回の騒ぎの後で戸籍からの抹消手続きが取られた)を省いている。

戸籍法では死亡の届出の義務を「義務者」に課している。それによれば死亡の事実を知ってから7日以内に届けなければならず、それを怠ると5万円以下の過料を処される(過料は刑罰ではなく前科とはならない)ということになっているのだが、そもそも現在、ここでいう「義務者」と暮らせている老人の方が少ない。例えそのような者と同居していても、こうした義務は家(始祖からの血脈)を守るという儒教的道義に裏打ちされてこそ、効果を発揮するものなので、これを欠いた現在では「義務者が義務と感じない」という事態が生じてしまう。

儒教では始祖を祭るという儀式の中で最も始祖に近い現存者である老人への尊敬が一般に浸透していた。実際、古老の智恵が地域の危機に際して役立つことも多かったろう。こうした社会では生産力や消費力を欠いた老人も儀礼の祭主や「礼」の指導者などの形で役割を持つことができ、それが儒教的社会の秩序の一端を担っていたと思われる。

性別にかかわらず、高齢であることそのものが敬意の対象となることが望ましいが、高齢者が殆どを占める社会で、それは無理だ。日本の場合、現在でも25%に達する勢いの高齢者(65歳以上)が2050年には40%を超える。しかも晩婚化・非婚化が進行しているから、独身のまま高齢者となる者が激増する。2005年の調査では50歳の時点での「生涯未婚率」(一度も結婚したことのない人の割合)は男性17%、女性7%だが、30年後には男性30〜40%、女性25〜35%が配偶者も子供も居ない単身者であると推計される。彼らはそのまま係累を欠いた単身老人として、孤老死へと向かうはずだ。

今夏、話題となった居住地不明高齢者の問題は、もはや「父」を柱として結束する家の紐帯がほどけてしまっていることを端的に我々に示した。家は壊れてしまったのだから、そこからの世話や恩恵を当てにはできない。この「無縁社会」は当面、「年金の適切な支払い法(死者に年金を払わないための方策)」とか「単身老人の生活支援」など、社会設計上のスキルの問題として捉えられている。しかし、その背後には家制度を否定し、その延長としての「日本主義」(「日本教」)を放棄した個々の日本人が、魂(道義、倫理)の源泉をどこに求めるかという問題がある。