なぜ、この映画? 「フォレスト・ガンプ」と「英国王のスピーチ」その2

映画「英国王のスピーチ」

 ライオネル・ローグの治療法

ローグ氏はバーディと名付けた吃音者の治療をその名で呼ぶことを条件に引き受けたわけですが、その前に偵察に現れた患者の妻に「治りますか?」と訊かれ、「治りますよ、本人が治りたければね」と答えています。ここから始まる彼の治療は、その骨格が私のもの(PIAS=Paradoxical Intervention Approach by Saito)と同じです。両者に共通するところを以下に挙げます。

  1. バーディ(患者)とライオネル(治療者)という完全に対等な2者関係の中でしか治療ができないと言う
  2. 自分の城(治療所)では自分の支配が徹底していなければならないと告げる
  3. 偵察に来た妻を治療に巻き込む(吃りもアル中も患者当人が治療に熱心とはいかないことが多いので)
  4. 治療の初日あるいはごく早い時期に治療終了の際の当人の様子を実感させる(「治ったとすると、どうなるの?」「もう治ってるじゃない」「あなた吃ってないじゃありませんか」etc )。この体験を導くレトリックが難しい。
  5. 治療の中盤から後半は、症状行動を話題にしない。むしろ当人のプライドの高揚と維持に力点を置いて、患者の可能性を広げる(これを「糊シロを広げる」、「選択肢を増やす」という)ことにつとめる。
  6. ある人物のプライドを維持する仕事は、その人の人生が尽きるまで終わらない。
  7. 以上1~6を進める過程で、これら以外のことはすべて「遊び」だが、遊び即ムダというわけではなく、患者との共感を育むことを助ける。

「終わりなき分析」ということ

ここでやっている私の治療には上記の他の特徴がもうひとつあり、それもこの映画の治療士ローグと同じです。映画のエンドロールのところで、ジョージ六世と治療士の友情がバーディ(ジョージ六世)の死まで続いたことが明かされます。そして特に第2次大戦中、連合国側の枢軸となったジョージ六世はたびたびラジオでスピーチし、その都度、治療士ローグが付き添ったそうです。

私は皆さん各々の重大場面につきそうということをしませんが、それでも終生つきあう気でいることは確かです。ここで思い出すのはジグムント・フロイトの「終わりのある分析と終わりなき分析」(フロイト著作集6、人文書院)という、かなり大事な、というか私にとっては決定的に重要な論文です。

これが書かれたのは死の数年前だったはずで、かろうじて彼は自宅から離れますが、これを書いた翌年には自宅をナチス青年隊に踏み込まれ、荒らされ、著書は焚書されています。かろうじて難を逃れたフロイトは当地のトリック教会に匿われてから、鉄道と海路でロンドンに亡命しました。この間、フロイトを助けたのは弟子でギリシャ王室に嫁いでいたマリー・ボナパルトです。ロンドンに落ち着いてすぐ彼は死にました。上顎癌でした。

ウィーンを逃れたとき、既にフロイトは自分の終わりを認識していたと思われます。フロイトは19世紀半ばにモラビア(チェコ)で生まれたユダヤ人ですが20世紀冒頭、40歳を越えた頃に書いた「夢判断」で精神分析家(これ自体フロイトの造語)になったと思います。こう名乗ったとき、既に「医師ではない」という宣言だったと思うのですが、そのことはフロイト自身にもわかっていなかったと思います。それで彼は、ドーラなどの患者を「解釈」という武器で治せる、と思ったのです。治すのだから「終わりのある分析」です。映画に即して言えば、バーディの4歳頃の苦難を彼に思い出させて吃音との関係を説明してみせるところが、解釈です。しかしそれだけでは症状行動は取れない。

「夢判断」から20年後、60歳を過ぎたフロイトは「善悪の彼岸」を書いていますが、このときには既に症状解釈では症状は取れないことが明らかになっていました。それでフロイトは、症状消失にとって重要なのは「転移」だと言うようになったのです。

1920年以降の精神分析は治療抵抗(催眠抵抗のように治療手技に反応しないこと)の分析に意を注ぐようになり、その中で強調されるようになったのが、外傷体験を始めとする幼児期以来の感情記憶が、治療場面で治療者に向けて繰り返される治療転移という現象でした。これを解釈する(転移解釈)ことによって根本的な治癒にいたる、というのです。

しかし、それから更に20年が過ぎて80歳になったフロイトが説くのは、治療には「終わりのあるもの」と「終わりのないもの」とがある、ということ。「終わりなき分析」では患者と治療者とは相互に影響し合って緊密な二者関係を作り、一方(治療者)が、他方(患者)を切り離すということがない。このことを認めることはすなわち医師フロイトの死であったと思います。

ここにこそ重要性があることに気づいたのはジャック・ラカンです。彼は、治療者と患者の間で起こることとして「統治(コントロール)すること」「教育すること」「愛すること」「分析すること」の四本柱を名指しただけて終わりました(ジャック・ラカン 精神分析の四基本概念、岩波書店)。

ごくかいつまんだ記述ですが、こうした斯界の難問の中にいるのが「皆さんと私」です。

 

*英国王のスピーチ〔2010/イギリス、オーストラリア、アメリカ〕

(監督)トム・フーバー (主演)コリン・ファース、ジェフリー・ラッシュ