【連載】映画と私たち「人形を恋人にする引きこもり青年『ラースと、その彼女』」(ふじやまままこ)その9
対談する人
ふじやまままこ
60年代前半に東京で生まれる。広告会社、新聞社、出版社などを経てライターに。斎藤先生とは18歳くらいの時に一度会う。その後30代後半で再会。ウツや発達障害を抱えつつ、なんとなく生きている。
人形を恋人にする引きこもり青年『ラースと、その彼女』
『ラースと、その彼女』の方はDVDで見た。
― ああいう作品はお金もかかってないし、小さい画面でもいいかもしれません。
あれが、すげえ不気味な映画で…。
― びっくりしますよね、あの設定。ラースどうなってんのって。
それもそうなんだけど、あのラバー人形っていうのかなあ、あれがなかなか受け入れにくい。もう少し精巧ならね。
― 最近はラブドールとかリアルドールとか言うのかな。日本製ならもっとリアルにできているかもしれません。
こう、足開いて、手開いたりするあの格好がすごい生々しくてさ、あれをでっかい劇場で見たら怖いだろう。
― アハハ、人形をお風呂に入れたり着替えさせたりね。ミニシアター公開だったと思いますけど、劇場とテレビとで、違う視点で観られるかもしれませんね。
あれは周りの人が、ラブドールを「彼女です」って紹介したラースを、家族も教会も地域の人々も人形を大切な個人として仲間にすることで受け入れた。それで、対人恐怖(妄想を伴うから社交恐怖 Social phobiaじゃなくて対人恐怖 Taijin kyofusho)の彼も外の世界に出られた、という話し。仕事に就けているタイプの対人恐怖者の描写は細かいところでうまくできてるよね。彼らの恐怖の核にはセックス(主に異性愛)があるので、女性器を持った(持っているはず)ラブドールが回復の鍵になったというのは、治療者として参考になった。オタクにもなれない彼が、テディベア・オタクの女の子(同僚)からのアプローチを怖がってるでしょ。あの子も対人恐怖というか、妄想抜きだから社交恐怖かな。で、主人公は人形ビアンカによってようやく女性とのセックスに成功した(さすがに映画ではそこが描かれてないが)。
その後、ラースというイギリスの人類学者がそのテディベア・オタクの同僚女性の腓腹筋とヒラメ筋、要するにお尻の下の股下裏側のところを凝視する場面があるんだよ。その後で彼女と握手した時に温かいなと思ってびっくりする場面があった。あのヒラメ筋凝視はフェティシズムだね。あの辺から彼は人形ビアンカへの罪悪感に悩むようになるのね。つまり人間の女への恐怖が薄れてきて、それをビアンカへの背信と思うようになるわけ。
そこから、テフロンだかプラスティックの素材でできた人形をポイ捨てするまでは一瞬だったね。後、2度目に見返して印象に残ったのは、医者役の女性が演じた治療者としての判断のすごさだね。兄さんたちと一緒になって「ラースどうしちゃったのよ、妄想よ」とか言わない。時間をかけてラースのその時の必要に応じた対応をしている。あの映画の監督だか脚本家のようなことを私に期待されても無理だな。しかし勉強になった。それと見直してみて感じたのは、あの村民の人数の少なさだな。ロビン・ダンバーの言う「人間が知り合う限度は100~200人」というのに丁度あってる。ああいう時にオッカナイのは「子どもたち」の反応なんだけど、あの映画の監督たちはその辺もわかってて、子どもという危険な存在を確実に観客に知らせようとしている。教会を出て車椅子のビアンカを紹介する時とか、聖歌隊で唱っている少年がビアンカを気にしてるところなんかはちょっとハラハラさせられた。
でも、僕らがね、ああいうシチュエーションでどういう反応するかっていうと。あれ以外の対応をするのは結構難しいよ。つまり「人形じゃんそれ!」とか、「何やってんの?お前」とか、なかなか言えないよ。当人の目つきは真剣なわけだから。
-ハハハ
だからあの義理の姉さんみたいな反応になっちゃうわけだ。兄さんの方は、「バカ、何やってんだ!」って言いそうになるけど、義姉が止めるじゃない。
そういうのにだんだん巻き込まれていくわけだよ。あれ逆なかたちで言うとさ、もっとナチズムとか、すごい暴力的なパーティー(政党)が、世の中を占めるようになった時と同じで、「 あの人の言うことだってよく聞いてあげましょう」みたいな。逆に進むと、おっかないことにもなる。
―あ、そこまで?つまりヒトラーみたいなヘンな人でも徐々に共感を勝ち取るみたいな?
まあ、そこまで読み込んでる人って少ないのかな。ああいうありえないことでさえ、共感しようとするという人間の怖さ。
― その通りですね。だんだん共感していくんですよ、ラースに。「彼女が人形でもいいじゃん」なんて気持ちになったりしそうな。最近そういう変わった主人公の映画が増えてますね。ちょっとうれしいというか。
このくらいはいいじゃないか、みたいになっていくじゃない。みんながいい人を演じる怖さっていうのはあるわけだ。監督たち(脚本 ナンシー・オリバー、監督 クレイグ・ギレスビー)がホントにそこを読んでやってるとしたら、相当悪者の監督だよ。それを狙ってんじゃないかなと私は思ったんだけど。あの映画はコワいよ。
― コワさはありますね。
あの主人公は、作り手(脚本家か原作者か監督か)の対人関係問題と密着しているのかもしれない。
―何が決め手でラースは外に出ていけるんですかね。
主人公の内面で何かが変わって行くのを観客は見せられるわけだ。
― お人形と喧嘩し始めるんですよね、それまで声出さないのに、 ひとりで語気荒げて、マジなのか芝居なのか…
あの変化は妙に写実的だね。どこかで作り手の体験と密着してるんじゃないかな。
― 監督あるいは脚本家ですね。対人恐怖かな。
恐怖とまで言わなくてもね、対人関係の問題。あるいは、そういう肉親を持ってる人だろうね。
―でも主人公役のライアン・ゴズリングが演技うまいから引き込まれるところもあります。今度の『バービー』のケン役もすごいです。