【連載】映画と私たち「自己顕示とジョーカー」(ふじやまままこ)その15

対談する人

ふじやまままこ
60年代前半に東京で生まれる。広告会社、新聞社、出版社などを経てライターに。斎藤先生とは18歳くらいの時に一度会う。その後30代後半で再会。ウツや発達障害を抱えつつ、なんとなく生きている。

 

自己顕示とジョーカー

―ええと、少し話を戻しますと、『ジョーカー』では、施設や職場で虐待されるうちに人間が変わっていく、その辺が割と丁寧に描かれています。

うん。話は特殊なようだけど、そういう自己抑制の表現として、道化になって自分と違う存在になり、喜劇役者として自分を表現しようと思うわけでしょ。で、その時にスタンディングプレイって…

―スタンドアップコメディアンのような感じですか。

本当の自己顕示者だとそっちの方へ行くと思うんだよね。彼もそういうオーディションを受けたりするけど、抑制が利きすぎてうまくいかないんだよね。

-人前に出るとあまり面白くなくなる。あの本番に弱い感じ、なんかわかるんですよ。

お面つけて別人格になったほうが、殺人とか衝撃的なことができるんだね。

―道化になりたいと思った時点で本人は仮面の効果を意識してるってことですよね。

知ってるわけだ。仮面をつけてトランス(意識受容)に入らないと自己表現できない。抑圧が強すぎるので。でも表現することを切実に必要としている人でもあると思う。普通のコメディアンとしては逸脱できないから仮面を被った、社会の道化という役をやってみたら、共感する人が圧倒的に多かった。市民たちは仮面をつけてなら、権力者の足を引っ張ったり、殺すなりをしたい。それは普通の人たちの欲望だろ。あれって我々を笑ってるみたいなもんだよね。
私たちもあの仮面さえ被れば、金持ちを攻撃したり、権威者を殺したりしたくなる。

-バレなきゃやっちゃえみたいな?今の私が自己顕示するとしたら、ダンスとかデモとか、あとシニア劇団に入ろうと思ってるんです。学生のころ演劇部だったので。

まあ、ちょっとは自己顕示もあったんだ、あなたにも。

-ほとんど何もできませんでしたが。一瞬だけ勇気出して、バンドやったりもしましたが、コミュ障だからうまくいかなかった。今になればなぜうまくいかなかったかわかるんです。今はどこにいても誰にも意識されないように、気づかれないようにひっそり生きてます。

あなたが文筆で食っていこうと思ったのも、表現者を目指してたわけで、どっかつながってんだよね。

―そんな感じもあります。芸能は親が安心しないけど、文芸なら安心するっていうのがありました。今じゃ恥ずかしいですが、映画が好きだから俳優をやりたい、音楽が好きだからミュージシャンになりたいと10代は単純に思った。でも異常なあがり症で。それって会社勤めでも、どんな仕事をしても障害になったような気がします。今は仕事の時には違う人格になるというのが、成功していることが多いかも。
そういえばクリニックには、俳優の方もいらっしゃいますよね。

何人かいるね。

―俳優になれる、あるいは続けられる人たちが持っている資質はなんですかね。

まあ要するに、相当気が強かったり、我執さがないとだめでしょう。

―そこか…じゃなきゃ続かないと?

自分にこだわらないとできない。 例えば監督と寝ることもいとわないとか。

―目的のためにはなんでも?そういう努力も才能だと思うんですよね。

そう考えると身を引いちゃう。年とろうがなんだろうが、道はある、みたいに考えないとね。

―あー考えられたらいいな~。なにか思いついても、「やっぱりできる気がしない」って思い直して動けないんですよ。だけど先生が言うのは、何かしらの表現活動をしていれば、ある日私が、怒りなのかなあ、それが満タンになったり、ジョーカーみたいに衝動が抑えきれなくなってやらかす、みたいなことの抑制になるということですか?

まあ抑制の排除は、排除されない限り見えないからね。抑制が剥がれて、亀裂が起こってそこから噴出するみたいなもんですかね。

―そういうのが必要なんですか?

その必要があるんじゃないですかね。

-そうしたいけど、やり方がわかんなくて、生きてる気がするんですけど。

〈続く〉