日々の小さな会話-その5

小池百合子と木嶋佳苗

〔会話〕

知人F(中年女性)が私S(後期高齢男性)と話す。

S「今週の週刊新潮を見たら、小池百合子(都知事)がコロナの数字をごまかしてるって書いてるね」

F「まさか、数をごまかすなんてできるわけないじゃないですか」

S「いや、数を水増しすると言うより、数字を広報するタイミングを自分の都合にあわせているってことかな。それについては週刊誌に書いてあることを丸ごと信じるほどウブじゃないが、PCR陽性だった者の数だけあげて、その人たちのうちの何名が入院するほどひどい症状を持っているのか、何パーセントがICUを必要としたのかを教えてくれないでしょ。だから実態が全くわからないというのは事実ですよ。多少でも医学の心得を持ってる人や、医学校で疫学の試験を通過してきた人から見ると、報告になってないよね。疫学の専門家も側近に仕えて居るはずだから、その人、冷や汗かいてるんじゃないかな」

F「何の目的で意図的に隠すんですか?」

S「そりゃもちろん大衆のパニックを煽って国から金を出させるためでしょ。選挙前の50人越えや100人越えは選挙用に自分の顔をさらす必要があった」

F「私、都知事選で票入れちゃったんですけど、そんなことする人なんですか?」

S「平気で嘘ついて、それが政治家と勘違いしている詐欺師だとおもうんですけどね。丁度、都知事選のあった7月6日に読了したのが石井妙子著『女帝・小池百合子』で、そうだよなって納得しながら読めたんですよね」

F「ドキュメンタリーと言ってもいろいろありますからね。私、読んでないからその本の評価は出来ませんが、何かひどいこと書かれてそうですね。学歴詐称とか」

S「今やそんなことどうでも良くなりましたね。小泉内閣・環境省大臣の頃(2005年)のアスベスト肺癌遺族への裏切り嘘つき、そして水俣病賠償対象の拡大を巡っての被害者への酷薄非情なやり取り、それと北朝鮮の拉致被害者家族の記者会見での無礼な仕打ちなどは国民必読ものですよ。この本の248頁の後ろから2行目から257頁までの部分はここに全て引用したいくらいに「平気で嘘を吐き、その現場に居た人に事実を指摘されても顔色変えず『言ってません』と返せる人のことが実名証人の言葉として書かれてます。この人を向こう4年の都知事に選んでしまった都民はこれから大きな被害に苦しむことになるでしょうね」

F「あんなオヤジ雑誌に書かれるくらい男社会の向かい風に立ち向かいながら、それを利用して進むヨットみたいな積極果敢な女というのが女性たちの心を掴んでるんだと思いますよ」

S「あの人をきらいなのは、女だからとか言うのと関係ないんです。ちたしかに『媚態』」も必要なら厭わない人でしょうが、あの人が第1次阿部内閣の防衛大臣のとき、立ちんぼの記者会見みたいなところで「マ、騒ガンデヨロシ」と言ったのをテレビで見たことがあったんですよ。オヤジ弁まる出し。そのときですね。私がこの女ホントニヤだな、と思ったのは」

F「無理に大物ぶるところは確かにありますね」

S「あの人、木嶋佳苗という女性にそっくりだと思うんですよね」

F「え!」

S「コロナでクリニックを閉めていたとき、暇にまかせて積読(ツンドク)」解消をはかったんですが、その中に数年前に買った、佐野眞一『別海から来た女』があったんです。あの女性のやってること、殺人は別として小池百合子にそっくり」

F「はぁ・・・どこが ?」

S「まず嘘つきが当たり前になっていて、嘘を指摘されても平気なフリができるところ。常に華やかな場所を求め、自分がそれに値すると信じ込んでいるところ。実家、特に父親について盛り上げて語るところ。例えば高い地位と能力のある父親に溺愛された少女で、ピカピカのお嬢様だったみたいな。小池さんの実家の御職業はカイロの居酒屋さんでしょ、立派な御実家とは思うが、特別どうというわけでもないですよね。それと、ここが一番大切なところと思うのですが、小池さんも木嶋さんも、まともな職業についたことが一度もないですよね。テレビとか、マッチ・ドットコムとか、実像の自分をごまかせるところでだけ生きようとしている。木嶋さんについて言えば、実際の彼女と生活して殺されずすんだ男たちは皆、彼女の肥満と同時に、その寡黙さに驚いたようですね。フェイスブックなどのメディアには華麗でお洒落、かつ多弁。実像は暗くて地味で寡黙。小池さんの実像も同じようなものじゃないかな。我々が見せられてるのは舞台の上の虚像」

 

〔解説〕

現代の精神・心理臨床学は自己愛(ナルシシズム)を異常なもの、病的なものとは捉えていない。生後2歳までに成立する中核自己は周囲(他者)を自己に取り入れながら、自己独自の凝集体として固有の記憶を持つ言語活動の発信者になる。感情や衝動はそれを名付けることによって他の感情・衝動と区分けされ、意味なく漂う不安になったり、皮膚をはじめとする身体愁訴として表現されたりすることがなくなる。この言語による脱身体化は現代精神療法の大切な要素になっている。

自己愛はこの過程を推進する動力の拠点だが、ここに始まる衝動や怒りは周囲との摩擦を避ける知恵の発達とともに適度に抑制され、次第にレジリエント(強靱)な保護膜が形成されるようになる。こうして所謂成人(おとな)のパーソナリティが獲得される。

自己愛の発露がどの程度まで許されるかについては、時により文化により異なる。ある時代までは行動の制御が優先され、現代では個性的であること、時には状況にあわせてヤンチャになることも怖れないような柔軟性が喜ばれる。つまり、かつてなら幼稚として退けられたことが現代ではポップと言われて、社会の主力(オジサン)から支援される。オリックスの宮内義彦氏や悪名高いパソナ顧問の竹中平蔵氏などは、そうしたノベルティ・シ-カ-(新奇性追求者)タイプのオジサンズの代表で、小池百合子や人材派遣会社ザ・アール会長の奥谷禮子は彼らオジサンズに支持されて咲いた。

木嶋佳苗(獄中で数回結婚したり離婚したりしていて、筆者は現姓を知らない)を小池百合子の庶民版と考えると何かが見えてくるように思う。オジサンズに支えられて野放図に肥大した自己愛は他者に対して冷酷非情となり自己にとって必要なら人も殺す。都民は恐ろしい人を向こう4年の統治者に選んだと思う。