日々の小さな会話-その3

「20年後の自分を連れて来ました」

 

〔会話〕

「次のかたどうぞ」

「・・・」

「あれ?  アイコさん(仮名)、どうしたの?  座って」

「え-と、先週話した人、来てくれたんですけど、一緒に入っていいですか?」

「誰でしたっけ?」

「う-んと、20年後の私・・・」

「?」

「家の裏に川があって、そこの土手で未来の私に会ったっていったじゃないですか」

「あぁ、S市の御実家に帰られたんですね、また」

「はい、それで今週も川を見に行ったんです。そうしたら昨日も私が待っててくれて、それで先生が会いたがってるって言ったら、来てくれるというんで、一緒に来ました。彼女も入っていいですか?」

「へぇ-、また会えたんだ。良かったね。どうぞお入り下さい、と言っても私にはあなた見えないんで・・・アイコさんこちらに掛けて、未来のアイコさんは隣に・・・アイコさん、椅子引いてあげて」

「・・・」

「え-と、どうしようかな・・・取りあえずアイコさん通訳してね、(カルテ用の2号用紙を私に向かい合って座っているはずの2人?の中間に置いて)この紙にアイコさんが書くのね、はい、このボ-ルペンを右手で持って・・・オ-ケ-、それで(と視線をアイコさんの左に向け直し、座っているはずの『透明な人』に語りかける風情で)これから私、質問するから、あなたはアイコさんの手首を掴んで字を書かせてね、いい?」

「彼女、分かったって言ってます」

「オ-ケ-、じゃ質問するね。え-と、はじめに、今どこに住んでいらっしゃいますか?」

以下、アイコが強ばった右手を紙に押しつけるように強い筆圧で平仮名、カタカナ、漢字を書きわける。

最初の質問の答えは、「サンフランシスコ」だった。

「何してますか?」

「医学部の学生」

「・・・(私、思う。あそこの州立大にも、バ-クレ-にも医学部無いな、あの変に医学校ってあったかなぁ、それとも心理職ってことかなぁ) へぇ-頑張ったんだね。今のあなた、高校も不登校だったもんね。あ、卒業はしてるんだよね、20歳だから」(とアイコの方を向く)

アイコ「学校へ行けば卒業証書くれると思うんですよね」

「そうか、じゃ、次の質問ね、今の髪の毛の色と髪型?」

「赤い茶色、ソバ-ジュ」

「最後に一番気になっている質問ね、これからの20年の間にアイコさんはレイプとかされるの?」

「された

「いつ?」

アイコが口を挟み、ボ-ルペンの動きは止まる。

「今から数年後と言ってます」

「それ以後は何回?」

「無いんですって」

「あっ良かった。アイコさん、そういうことだそうだから、ここ数年は気をつけようね。(視線を透明人間さんに戻して)サンフランシスコなら知り合いもいるし、毎年行ってるからまた会えるね。今日はありがとう。これからもアイコさんをよろしくね。守ってあげてね」

 

〔解説〕

この会話が行われたのは、1996年か7年だったと思う。1995年9月にさいとうクリニックが麻布Aビル(既に取り壊された)を賃貸して始まってから1~2年経った頃だったと思う。当時私は55歳か6歳。今2020年で、あれから23~24年たっている。

その頃私の診察室はAビルの9階にあって、患者さんはカウンターにいる秘書を介して診察室に入る形式になっていた。で、普通は次のかたを呼ぶとすぐに人がドアを開けるのになかなか入って来ないので「どうしたの?」になった。

それにしても変な会話だなと思うのが普通だろうが、アイコさんと私との間ではそんなに奇妙でもなければ、ワザとらしくも無かった。そもそも「未来の自分に会え」と言ったのは私だし、アイコはそれを実行した数人だけの人々のひとりだっただけだ。

ただ、彼女が1例目だったため、咄嗟に「どうしよう」と考え、なるべく自然に、アイコさんを困惑させないように振る舞おうとは決めた。そして会話に入ってから、手応えを感じた。「これは効いてる!」と。会話の長さは20分かせいぜい30分だったと思うが、これはアイコさんの回復の手がかりになると確信した。

早めに結果を述べておくと、今彼女の住んでいる処はサンフランシスコではないが、そこに近いカリフォルニア州の有名な街にいる。サンフランシスコ州立大を卒業しているし、その後2回に渡ってバークレイ大学の卒後教育を受けた。いずれも修士で、最初は実験心理学だったか、後で臨床心理士の資格を取得したということで、最後に電話で話した頃にはカリフォルニア州のあるカウンティ(郡)で公立の心理療法サービスの職についているとのことだった。もっと素晴らしいのは、大学卒業からバークレイ心理学修士に進む間に、ユダヤ系アメリカ人の映像作家と結婚していて、確か2人の子どもがいる、もしかして3人だったかも。アイコさんは夫を連れて私に会いに来てもくれた。

実は、その結婚式と披露宴に私は招かれていたのだが、行かなかった。「彼女の未来という現実」にかかわり過ぎてはいけない気がした。精神科医は過去の一時を夢のように通り過ぎた人であった方が良いと思う。

ただ、あの会話は何だったのかな、と時々思うことはある。アイコさんはあの短い会話に縛られる必要があったのかも知れない。

初めて会った頃の彼女は160cm程度の中背ながら90kgの体重を持て余すガングロ娘で、壮烈な過食嘔吐サイクルとリストカットなどの自傷行為、それに時々ミーティング会場で起こすアスタジア・アバジア(失立失歩)やオピストトーヌス(後弓反張)などのヒステリー発作を抱えていた。10代後半の彼女は中部圏のある病院に勤めていた医師によって症例報告の論文が書かれていたほどに難治とされていた。その前後に複数の性的外傷を体験してもいたので、会話の最後があのようになった。

私としては、もう少し安定して秩序を取り戻した自分を思い描ければ、今の愚行悪行のゴタゴタはすべて収まる。そのようになった自分を空想しているうちに、あなたはそのようになった自分に会えるよ、と言っただけ。

このような言葉はアイコさんにだけ言ったわけではない。所謂「ボーダーライン」様の対人関係、嗜癖行動、自傷行為を繰り返す脆弱な自己の持ち主たちには分かってもらえるまでこの言葉を繰り返すのだが、こんな形でシャープな変化を見せてくれたのはアイコさんと、もう一例だけだ。

数年前から、「アレは何だったのか?」についての本を一緒に書こうとアイコさんから提案されている。「いいね」と応じつつ何となくそのままになっているうちに新型コロナの時代になった。このままだと衰えつつある私の筆力がいよいよ限界を迎えそうなので、数冊の本にもなりそうな彼女とその家族に関する膨大な記憶の中核についてだけ、ここに残しておくことにする。