「逆ドロロ」のその後

以下は「逆ドロロ」という見出しで1995年55歳の時に東京新聞夕刊のコラム「放射線」に書いたものである。

『最近あちこちの関節が痛くて歩きにくい。新聞を読むのに近眼の眼鏡が邪魔になる。5年前から2年前にかけて奥歯を3本抜いた。酒がうまくなくて、その分タバコの量が増えた。2年前には糖尿病を指摘されて、食事と運動に気をつけている。40歳から始めたテニスには文字道理没入したが、50歳になって肘に激痛が走るようになり断念した。まだ50歳代の半ばだというのに、あちこちからいろいろな能力が欠け落ちて行くのを感じる。

私くらいから手塚治虫世代が始まるのだろうか。小学校のころ彼の漫画を見ていた。その後マセて漫画から離れてしまったが、40歳代に入って子どもと一緒に手塚漫画に再び戻ってみると、これが面白い。特に「ドロロ」というのが気に入った。人造人間みたいな人外の少年が魔物を退治するたびに自分の身体を、手や足や目を獲得して、ついには人間になるという、一種のビルドゥングス・ロマン(人間成長のドラマ)。今の私は視力や脚力を喪いつつある「逆ドロロ」の状態にある。

もっとも、このことで絶望的になっているわけではない。むしろ老いるということが感覚としてわかることを楽しんでいるようなところもある。私は昔、青春のドロドロを早く脱して老人になりたいと思っていた変な少年だった。逆ドロロになってわかったことの一つは、老人というのがなぜあのようにしかめつらをしているかということだった。彼らはあちこち痛いのである。彼らがなぜ人にぶつかるかもわかった。彼らは威張って人を押しのけようとしているのではなく、敏捷に人をよけられないのである』

これを書いてから更に14年経った。遠視は更に進んで裸眼では新聞が読みづらくなり、先月ついに老眼鏡を作った。しかし実のところ逆ドロロの実感はない。歯はまだ自前だし、体重を落としたせいか55歳の頃のようなあちこちの痛みはない。テニス肘もいつの間にやら治り、ふたまわりも若い連中と週1回の混合ダブルスを楽しんでいる。酒は飲むのが面倒になり、吸う場所が無くなったのでタバコも止めた。先年は癌の血清マーカーの幾つかが上がってひやりとしたが、前立腺やら消化器やらを精査してもらって異常なし。今年の5月には狭心症を疑って心筋シンチグラムを撮ったが正常だった。

今考えると、55歳の頃は衰えを否認しようとしていた。だから仕事でも遊びでも自分の限界を突破しようとした。自分の中の衰えを発見しようと努めていたのも、命に余裕を感じていたからだ。70歳を直前にした今、さすがにそうはいかない。やらなければならないことを選んで、そこだけを何とかこなすといった守りの姿勢に入っている。例えば国外の学会やワークショップに参加するのが億劫で、遠慮させて頂くことが増えた。

幸い私には停年がない。実は冒頭の文章を書いた55歳の時、私は停年のない生活を選んで開業した。で、仕事を閉じるも続けるも自分で決められる。当分の間、たぶん私の精神活動が続く限り、仕事を手放す気はない。こうなると若い同僚や患者たちとの日々の接触が喜びだ。縁あって私と一緒に働いてくれることになった人々には有り難いことだと思えるし、どこからか私のことを聞きつけてやってくる患者さんたちにはお力になりたいと素直に思える。

これを読む皆さんは様々な立場におられると思うので、中高年の生き方はこうあるべきだ、などと一概には言えない。しかし私のささやかな経験から、これだけ言ってもいいだろう。遅くても50歳代のうちに、組織にとらわれない働き方の可能性を考えておくこと。60歳代になってからの生活の激変は、可能な限り避けることだ。

少なくとも私の場合、50歳代より60歳代の方が自分らしく生きられた。妙な鬱屈や気取りが減ってきたからだろう。これから迎える日々についても起こってくることの一々をびっくりしたり、感心したりして過ごすつもりだ。老境と言ったって一人一人の人間にとっては初めての経験。その体験が楽しくないはずがない。

年金と暮らしの情報誌『お元気ですか』2009年8月