【連載】映画と私たち『KIDDO』母と娘、二人の世界の行きつく先(ふじやまままこ)

『KIDDO』
養護施設で暮らす11歳のルーのもとに、長らく会わなかった、母のカリーナが現れる。自称ハリウッド女優のカリーナは、無断で施設からルーを連れ出し、「ポーランドのおばあちゃんの家でお金をゲットし、家を買おう」と、おんぼろ車でポーランドを目指す。型破りな母の行動に、懸命についていこうとするルーだったが…。母と娘の逃避行をレトロでおしゃれな映像で描く、オランダ映画。
監督:ザラ・ドヴィンガー 出演:ローザ・ファン・レーウェン、フリーダ・バーンハードほか 2023年オランダ
公式サイト https://culturallife.co.jp/kiddo_film/

 

対談する人

ふじやまままこ
60年代前半に東京で生まれる。広告会社、新聞社、出版社などを経てライターに。斎藤先生とは18歳くらいの時に一度会う。その後30代後半で再会。ウツや発達障害を抱えつつ、なんとなく生きている。

 

母と娘、二人の世界の行きつく先

―ただ母と居たい一心でついてきた娘のルーが、ある時から「この人ヘンだ、無理」ってなりますよね。カリーナのバックグラウンドはほぼ描かれないけど、入院してたのかなと推察できます。

ポーランドからオランダに徒歩で入ったくらいだから、カリーナはとにかくエネルギーがあって、どこにでもあるような自分の家が嫌で出たのかもしれない。『KIDDO』は子ども目線で描かれていて、観客は子ども側に感情移入するようになっているよね。

―ルーの視線になるんですよ。精神的な意味も含めて、出てくるのはほぼ子どもだし。カリーナも大人になっていないし。

手に包帯みたいなものを巻いていて、手が使えないというのも、カリーナの精神状態というか病を表現しているんだろうね。

―リストカット?脱走でもしてケガした?とか。カリーナは双極性障害ですかね。

大いに考えられるね。あるいは妄想があるか。

―妄想の場合も?ハリウッドも妄想ですかね。

ハリウッドに行ったのは本当。最後にハリウッド女優じゃないことをカリーナが告白するでしょ。あれは、それまでにはなかった、誰かに必要とされたい、という気持が湧いてきたんだろうね。それまでは世間と自分しか見てなかった。

―自分と世間から、娘と自分になって、流れる歌が『YOU&ME』(ペニー・アンド・ザ・クォーターズ)なんですかね。

妊娠・出産と現代人というテーマで見ていくと、こんな世界だから少子化になるというのもわかる。
カリーナは、子ども産んで10年くらい経って、ひと旗揚げようと思ったんだろうね。ある程度、自分に自信があるから活動性が高くて、しかるべき場所に行けば自分は光れる、そう思ってハリウッドに行った。というのが私の考えた勝手なプレストーリー。でもその他大勢みたいな役しかもらえず、あげく大怪我して精神障害起こして入院していたかなと。

―『KIDDO』では、ルーが旅を通して成長して、母も成長するけれど、ルーがあの後どんな子になるのか考えてしまいました。

結局お母さんのようになるんじゃないかな。

―えっ、でも娘は施設に戻ってほっとした表情をしますよね。

うん、あの笑みは爽快感があるよ。僕らが常識的に考えると、娘は元の施設にすぐ連絡できるわけだよね、「迎えに来て」とか言えたはずで。

―信頼できる存在だけどあえてそうしなかった?

最後は車とお金を見てルーはニヤッとしてたでしょ。

―お金どうするのかなと思いましたが、ルーは堅実な部分があるから「母の生き方やばくね」と考えてるかと思ったけど、そうか、同じようになるのか…。

前のパパ、ママは頭がおかしかったというようなことを言う施設の子がいたでしょ。子どもは気づいてるものなんだよ。 ルーは施設で育っているからコミュニケーション能力もある。

―最初からカリーナ母は約束破りますしね。マズイ人というのはうすうすわかってはいるんですね。

ただ施設にいるよりマシだろうと、ある時点までは思っていた。必死にお母さんを信じようとしてる。でも色々ボロが出てきて「食い逃げしただろ、見てたぜ」とか「お前の母ちゃんヘンだ」って少年に言われるまでは信じて、寄り添おうとしてたわけ。気を遣っていた娘が最後に怒りだすのは、早く自分の家が欲しかったからでしょ。でもカリーナは、家ってものが嫌いなんだよ。家持ってどうすんのさ?って。だからこれからもずっと旅が続くと言う。人生は旅だけど、やっぱり寄り道するのは帰る場所があるからこその旅でね。カリーナにとって家は拘束の場でしかなく、そういう人は僕らにとってはやっぱりちょっと狂ってる人だよね。

―そうですか。そういえばポーランドに着いて、カリーナの母の墓地に行くと、墓碑に『ただ一人の娘の母』って書かれてますよね。あれってどういう意味ですか。

あっ、あそこね。あれがこの映画の焦点なんでしょうね。ルーの祖母、カリーナの母は、映画には一切登場しない主役で、台詞は一言だけ。あの墓碑の言葉の中の「ただ一人の娘」というのは、やはりカリーナでしょう。母はカリーナを待って死んだ。カリーナのために大金を貯めていたから、カリーナは強盗をやったわけではなく自分の金を持ち出しただけのこと。だけど不器用すぎるカリーナには、それがわからないから、『ボニー&クライド』のボニー役を続けることしか考えつかない。ルーは、そうした母親と一緒にケチな泥棒旅を続けることに嫌気がさしている。今やルーは、施設に戻るか、もっと大物な泥棒、つまり「クライド」並みの犯罪者になるか、という選択肢を持っている。これがわかった爽快感がルーの顔に浮かんだ不敵な笑みの意味でしょう。
因みに、映画の最後の部分でルーは一度失ったと思った「自己」を見つけます。愛しい蛇の「ヘンク」がそれです。

 

YOU&ME、二者関係の弊害

―ルーは途中から、カリーナを真似して彼女に同化しようとしたり、恐れたり、色々と変化していきますよね。
人間、二者関係ってのはマズイんだ、母と娘とかね。本当はお父さんがいて三角を作ると安定するんだけど、それでもお母さんと二者関係になったりする。すると必ず喧嘩になるか、どちらかがどちらかを飲み込んで、同一化するかしかない。親子でも兄弟でも三角を作ることによってようやっと安定する。夫婦関係も二人だけだとおかしくなるんだ。子供のいない夫婦っていうのはお互い憎み合ってるか、あるいは諦めてるかだね。親友関係なんて絶対になれない。

―私自身は思い当たりますが、二人だけで仲の良い夫婦もいる感じしますけど…。

二者関係は昔から部族間でも同様で、人間に必要な肉を持ってる族がいて、塩も必要だから、海岸の部族と取引しなきゃいけない。山の民と海の民、これだけだとやっぱりおかしくなる。例えば贈り物をしたら、その返礼が贈り物より価値の高い物を差し出すという風になる。するともっといいものを次は贈るみたいな競争になっていく。平和に見えるけど一種の競争関係みたいになる。だから第3の、例えば小麦の里の部族があったとすると、三角関係の領域が始まる。だからジャンケンポンみたいに、勝った人は誰かに頭を下げる一方で、誰かには勝っているみたいな。で、一人がボスになって二人を従えるかたちになると、また二者関係になっちゃうからね。その内に主人と奴隷の弁証法じゃないけど、関係がひっくり返っちゃうわけです。だから二者関係じゃないものを、いつも人間は作ってきた。で、『KIDDO』では親子が二者関係で閉じられた関係になるから、あの場合、娘にとっての母は、とても素晴らしい憧れの人になるか、どうしようもないオカシイ人になるかしかない。そこで三角形を作っているのが蛇のヘンクです。ヘンクを挟めばカリーナとルーの関係はもう少し続いたかもしれないが、カリーナはヘンクを徹底的にきらうだけだった。要するにカリーナはルーの母にはなり得なかったわけです。

―過去の友人関係とか思い出すと、わかります。

で 、狂人である自分が娘に人がバレてしまったなと思ったカリーナは姿を消した。多分あれからは娘ではない二者関係を求めて破滅の道を一人で歩み続けるのでしょう。あるいはハリウッド時代のようにロボット(精神病院内の患者)で過ごすかです。

―あの後にカリーナが目をつけ、巻き込んでいく人が現れるということですか?

いや彼女にとって第3者はありえない存在。第3者っていうのは、金を盗むか、殺すか、逃げるか、盗み食いするなどの相手。窃盗の対象というか、まあ獲物だよね。要するにそういう行動が、自分を孤独にしてるわけですが、その空虚を埋めるのがヘンクだと映画は言っているのだと思います。

―獲物ねえ、いました、そういう人。もうひとつ、『KIDDO』には大人の男性はほぼ出てこないんですよね。

食い逃げされたダイナーの店主だけだけどこの人、しつこく追ってくるね。男根主義の否定というメッセージもあるのかもしれない。男性に任せておいたら世の中こうなった、という。

―男に任せきっちゃいかんですね。