【連載】映画と私たち「アカデミー賞の多様性」(ふじやまままこ)その11

対談する人

ふじやまままこ
60年代前半に東京で生まれる。広告会社、新聞社、出版社などを経てライターに。斎藤先生とは18歳くらいの時に一度会う。その後30代後半で再会。ウツや発達障害を抱えつつ、なんとなく生きている。

 

アカデミー賞の多様性

― アカデミー賞は、略して『エブエブ』(『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』)がほとんど持ってっちゃって。個人的には途中からはノレましたが、時間が長すぎるし繰り返しが多いしで、飽きてもぞもぞしてました。

へえ、賞に政治力か何かあんのかな。

― 最近、アジアの映画の受賞が多くて、アカデミー会員にアジア人が増えたとか、出資金の問題とか、あとプロモーションにお金かけるようになったとか、理由はあるんだろうけど、でもちょっと不自然な印象を受けるんです。

2年前ぐらいも韓国の映画が獲ったよね。

-『パラサイト』ですね。

東アジアに焦点が当たっているんだな。 これまでみたいに白人至上主義を表立って表現できなくなって、あのホワイト階級の挫折感みたいなのに追われてんだよ、ハリウッドは。みんな東アジアに持ってかれちゃってる。

― そんないいかなあ?とか、こういう映画は過去にあったよみたいなのも多いんですよ。

そういうのどうも裏返して見ちゃう癖があるもんだから、やっぱりあの 白人社会っていうのもかつてのようにね、白人至上主義みたいなものを表立って、マニフェストみたいに持っていくわけにいかないから、ひっくり返して余裕見せて、アジア人たちも頑張ってるよな~、みたいなかたちで、賞ぐらいくれてやる。商売になりゃいいんだ、みたいな感じじゃないの?

― あー、映画にお金また出してね~ってことですかね。

まあね、かつてコロンビア・ピクチャーズを買い取った頃の日本だってね、裏取引があった。先進五か国の蔵相、4、5人の白人たちが、ニューヨークのプラザホルで、竹下登だったか忘れたけど当時の大蔵相を呼び出してみんなでいじめたのよ。1ドル360円を240円ぐらいまで強引に上げさせて、15分かなんかしぼり上げて、無理やりイエスって言わせて。ご飯も何も食べないで。すごい冷遇だよね。で、彼はそれを受け入れたんでしょ、だから急速円高で輸出が伸びなくなった。それで金が日本国内にたまって土地バブルになった。その後、円は1ドル70円まで上がった。言えばプラザ合意は第二次大戦後のもう1回敗戦。日本はアメリカに2度負けてるのかよ。

-若かったせいかあまり覚えてませんけど、そんなニュースがありましたね、今は円安が止まらない。

当時は円が行き先を失って、工場の改善とかっていうのもきかないんで、自分の国の土地を、一種のマスターベーションに日本国内だけで回してた。当時の土地の価格が、23区分でアメリカ全土を買えるほど跳ね上がって。アメリカは土地が安いからあっちこっち買い漁るけど、運用ができないからね。
日本は今の中国みたいに、安い労働力でいい製品を作って、輸出して稼いでたわけだから、それがダメだって言われてどうしていいかわからず、土地投機になっちゃった。あとは30年にわたる地獄。あんたなんかその30年を生きてる。お金で苦労して。

―その辺からは外れてるかも。仕事できないからだと思います。90年代はでも楽しいこともありました。ほんと大して仕事してなかったもんなあ。

30年前は日本全体がそうだったんじゃないの。このまま行くような気がしてて、ソニーと一緒に繁栄するような気持ちでいたから。

― バブル景気は終わってたけど、仕事がガンガン来た時期とかはありましたね。稼ぎが悪いのは、やっぱり対人でいつも失敗していたからかも。

対人?あ、そう。

―なんか、せっかく取材先でいい感じに仕事して、お店がオープンするから、パーティーに呼ばれるんですけど、 挨拶もろくにできなかったり。ほかにも例えば「連絡して」、って言われた人にもなんか緊張して電話も怖くてできず。仕事を世話してくれたかもなのに。電話もらうのはいいけど、かける勇気がなかったです。