【連載】映画と私たち「小動物を殺したい衝動」(ふじやまままこ)その6

対談する人

ふじやまままこ
60年代前半に東京で生まれる。広告会社、新聞社、出版社などを経てライターに。斎藤先生とは18歳くらいの時に一度会う。その後30代後半で再会。ウツや発達障害を抱えつつ、なんとなく生きている。

 

小動物を殺したい衝動

―話は変わりますが。最近のニュースで、「誰でもいいから殺したかった」と言って学校の先生を刺した少年がいましたよね。あれっていうのは?

小動物を殺していたらしいね、どうしてか、あの酒鬼薔薇少年もそうだったね。

―あれって人生のどの時点で決まるのかなと。同じ環境でも、殺す人殺さない人、兄弟でも両方いるじゃないですか。

なんだろう、あのね、ひとつは自己表現の手段として、犯罪っていうのはとても有力な手段で。また原始核家族制の話に戻るけど、人間の心理って、大体この5つくらいの要素で決まるってのが、まあ今の一般の心理学の考え方。①内向的か外向的か、②ノイローゼ的かどうか、③誠実性の有無、④協調性の有無、⑤新奇なものに開かれた心を持っているかどうか。
例えばあなたはこの中で言うと協調性はある方だよね。誠実性はあるけれど、新奇なものへの開放性、これが足りないように思う。

―なんか新しいことにもう一歩が踏み出せないんですよね、

ちょっと危ないかな、とか言って止まっちゃう。でもね、この中でさ、協調性を強調してきたのが人類だから、さっき50人単位って言ったけど、その50の中で協調性乏しい人、危ない奴は、追放するか、公開処刑するか、暗殺してきた。数万年の経過があって、そこで生き残れた者だけが現代の人として生きている。

どうやら歴史としてわかるのは、ここ2~300年だと思うが、統計の数字がたどれるなってからは、殺人者の数は明らかに減っている。ヒト(ホモ・サピエンス)らしきものが出没してから100万年ほど経っているらしいのだが、その中で人は一貫して自己家畜化し続けてきている。弱者として他者の保護に期待するというのが「自己家畜化」の本質です。自分が無害であることをわかっていて、人間集団(社会)の中から追放されないように生きてきているわけ。逆に言えば、人間はサイコパスっていうのを見つけてね。変わり者とかやばいやつ。社会的に秩序を乱すやつっていうのを丁寧に、雑草を摘むように抜いてきたんですよ。それも人口が増えすぎると戦争とか民族的対立とかになって人口が減る。

だから今大河ドラマなんかで、鎌倉時代なのに人がうじゃうじゃいるだろ、あんなのありえない。もっとまばらなんだよ。今の人口は1億2000万人位かね、平和だった徳川時代が終わる頃が3000万人と少し。大きな町以外は、人に出会うことも希だった。

で、さっきの少年の話に移るとね、そういう小さな集団の中では、子供達っていうのは、ある限界の中で、自分を表現しないようにしてたわけだ、危ないから。ところが都市化が進んだりして、特に文化の混乱期ってあるじゃない、情報機器が進んだり、まあ日本だと西洋文明が入ってきたりとか、それよりもっとすごい変化が今起こってる。情報通信機器の改革とか、自動車だって石油から、水素ガス、その間に電気で走らそうとかね。で、こういうのが社会全体を揺るがしてるところで、100年以上前から続いてる学校制度って、同じように学年輪切リでやってる。こういうのはもう無理が来てね。で、自己表現したいような少年たちが過ごす場所がないんだよ。で、どういう風なことで、彼らは自分を表現するかっていうと、あの神戸の少年だってね。いろんなグロテスクな絵を描いたり、脳だとか言って、変な針金を巻いた工作をしたりね、色々表現してた。お母さんはあの子を芸術系の大学に入れたかった。

でも表現者としての才能というのは訓練とか発表の機会がなければ誰にも認められないじゃないですか。そうすると短絡的に加害者として有名になる。あの事件の時も酒鬼薔薇聖斗って名乗って「僕を捕まえてみたまえ」って警察や世間を挑発してましたよね。

―アニメの世界って感じですけどね。

翻訳文学的な文章をあちこちから拾ってきて、パッチワークした文章だったりを一見すると。14歳の仕業とは思えなかった。あれが今度の事件と似てると考えていいんじゃないかな。

天才的な犯罪者って平凡な人生を送っている私たちには憧れですよね。『羊たちの沈黙』に出てくるレクター博士みたいな有能なサイコパスって、一種のアンチヒーロですね。
今度の事件って、先生(女性教師?)が思春期少年の「男らしさプライド」を追い込みすぎたんじゃないかな。そう考えると刺された先生も痛かったろうけど、事件そのものが痛々し過ぎる。

ひとつ考えておかなければならないのは、この種の事件を起こす子の生育環境の問題です。この子はふだんから親からの暴力や脅威にさらされ続けてきた可能性がある。理解不能な青少年の暴力行為やいじめの背景には、生育環境の中のトラウマ体験など逆境性児童期体験を考えなければならないと思います。一方、あれは孤立した、1人の少年の事件かというとそうでもなくて、大脳皮質の厚い人(知的な人)なら小説を書く。これなら非合法じゃない。

―作家や詩人になる、ということですか

昔は詩人になった、無数のそういう目立ちたがり屋が、ギター片手に鹿児島あたりから出てきて、フォーク歌手になったりなんかしてた。

未完成に終わった無数の井上陽水がいて、みんな田舎に戻って、元ミュージシャン志望のどっかの商店の親父をやってたりする。

―今はSNSの時代だし

一種の反発・強迫なんですよ。あなたもそうだし、僕もこの時代に生きてるのだからね、SNSは否定はしないですよ。それでいて自分が新聞とかテレビでニュースの主人公にならないと生きてる気がしないっていうのは既に病気ですね。あのようなメディアに載るのは不幸なことで、実は無名でいるのが楽なんだと普通の大人なら気づいてるんだけれど、そんなこと言わないでしょ。だから、若い人たちはテレビのレギュラーに呼んでもらえたりすると収入になるし、東京のTV局に出てる顔でも勇気がなくて匿名という場合が多いでしょ。

―子どもでもそうなる?

猫が死んだ後も爪痕を残すように、子ども達も生きていた証拠を残したいと思うわけ。その中で勇気があるのは、犯罪者になる、勇気のないのは回転寿司屋で醤油をなめたりしてる(笑)

―あはは、そういうことですかね。あれで大金払う羽目になって、若いってバカだなあ。

根は同じこと。

―自己顕示だとは思うんですけど、友達に見せたいノリでやっちゃう感じですよね。

そう、さっきも言ったけど、僕らの人間関係って大体50人前後のものなの。その範囲での受け狙いのつもりがニュースになれば一億に知られる。グローバルなメディアだと何十億にもなるでしょ。だから自分たちが意図したところを越えちゃうんだよね。

私なんかはここ(クリニック)に来ている人だって覚えられなくて、あなたのことも、えーと下の名前はなんだっけって時々なる。

ミーティングは15人限定だから、そこに来る人は覚えていられるけど、段々ご縁がなくなるとさ、新しい患者さんたちもくるし、古い人の記憶が追い出されたりもする。

―忘れられちゃうんですね、古い人は。時々忘れられてますね私も。

だから色んな人に出会ってきました、とか言っても、本当はある限定した数の人にしか囲まれてないんですよ。だから少年たちはその人間関係の枠を越えて注目されたいんだと思うよ。

―先生は私に映画のジョーカーみたいなことしたくならない?と言いましたよね

もっと追い詰められちゃうとね。でも障害者手帳とかをもらうとそこまではいけない。救われたりしちゃうから。あなたの場合、スキャンダルになるにはまず書けばいいんだよ。田口ランディさんとかは多少知られた人だけど、悪口うまかったよ。

―あー悪口は私もうまいと思うんですけど、もう今ってそういう時代じゃないじゃないですか。あれを封印されると、その中でやっていけるのかなと思って。

そういえばガーシーという人の書いた本が送られてきた。面白かったよ。

―えっ、あのガーシー、東谷ですか

面白いから読んでくれってある女性から送られてきた。独りよがりで自分勝手な人だと思うけれど面白かった。書いてあることは要するに有名人に女を世話したってことだけなんですよ。それが繰り返し書いてある。何が面白いのかなと考えてみた。みんなやりたいことかもしれないけど、やっちゃいけないことがある。そこをさせてあげるというビジネスがあるんだと言うので「やっぱりそうか」と思う。でも、そんなことが面白いんじゃなくて、スキャンダルの当人が有名人で、それを暴くガーシーを正義の味方みたいに喝采されている。YouTubeの動画を数万だか数十万だかの人が観てるという現実が可笑しかった。

元総理大臣を殺した人は、誰も言わなかった深い部分、自民党の闇、こんなことで困ってるってことを、思い切り暴いたでしょ。みんな変だと思ってたわけだよ、統一教会だけじゃなく、公明党もそれ以来あまり発言しなくなって、私たちの言説や表現というのが、実はものすごく狭められて、子ども達も学年輪切りで、決まった人たちとしか世界を作れない。大人が規制され過ぎてるから子どもたちの規制も何かと厳しくなる。

―ましてやコロナ禍になってからはさらに窮屈ですしね。

うん。みなさんが有効に使っていると思い込んでるSNS発信というのも、あれは衝動であってコミュニケーションじゃない。

―そう思います。でもなんでやらずにいられないんでしょうか。私もすべて遮断する勇気はないんです。ツラくても。でもフェイスブックなんか見なけりゃいいと先生に言われてからは、ほぼみなくなりました。

SNSに匿名で悪口書くのも猫殺しの少年も同じようなものだ。私もフェイスブックのアカウントは持ってるけど、今のところ見ないようにしている。見たら多分黙ってられなくなったり、腹立てたりしてあらぬことを書き連ねることになりそうだ。そんなことに残り少ない人生を使いたくない。必ず暴走するんじゃないかと思って怖いんだよ。

―なるほど先生はご自身がそうなってしまう予感がするってことですね。私はSNSがすごくつらいんですよ。昔からの友達(と言っても半分は二人では会わない人)のグループが偶然なのか、みんなスポーツやる人でアクティブに生きてる。いちいち報告してくるんです。今日は山に行きますとか、マラソンに行きます、スポーツじゃないけどしょっちゅう出かけていることを自撮りしてアピールしてくる人とか。自分はスポーツやるのも見るのも興味ないから、すごくストレス。登山・マラソン・トライアスロン=善っていうのがなんかすごく苦しくて。年を取ってくると、みんな「体を動かさなきゃいけない!」ってなるんですよね。

〈つづく〉