なぜ、この映画? 「ジェーン・エア」「嵐が丘」その1

彼女たちが生きた世界 : ジェーン・オースティンとブロンテ姉妹

私の治療法について考えて頂いた前回に代わって今回にはビクトリア朝の時代にイングランドの田舎に生きた3人の女性作家たちの描いた「娘たちの結婚」について観て頂こうと思います。

3人のうちジェーン・オースティン(Jane Austen, 1775-1817)だけが18世紀生まれで、彼女の死の前年にシャーロット・ブロンテ(Charlotte Brontë, 1816-1855)が生まれています。Brontë家には6人の子がいて、シャーロットは3女ですが、姉二人は修道院で学問を修めている間に劣悪な環境と貧しい食事の中で結核を発症し早世しました。彼女たちの死は「ジェーン・エア」の中に友人の結核死として描かれています。残された4人ただ一人の男の子を除く3姉妹のそれぞれが小説を発表しており、うち有名なのがシャーロットの「ジェーン・エア」とエミリー(Emily Brontë, 1818-1848)の「嵐が丘」ですが、末娘で5女のアンも「アグネス・グレイ」という作品を出しています。

この4人の履歴を一瞥して感じるのは若死にです。我が国の樋口一葉(1872-1896)もそうですが、閨秀(女流)作家たち中には惜しまれつつ短命という人が多いように思います。今回の4人についてみれば48歳ジェーン・オースティンまで生きたジェーン・オースティンが最長命で、ブロンテ姉妹の場合、シャーロット39歳、エミーとアンはともに30歳までしかいきていません。

「娘たちの結婚」をテーマに近代小説の帳を開けた4人ですが、彼女たち自身の恋はささやかなものでした。ジェーン・オースティンは25歳のとき、生涯でただ一度という恋をしながら実を結ばず、翌年6歳年下の裕福な青年から求婚され、一度は受け入れながら翌日になって断っています。ジェーンは最初の小説「第一印象」(後に「高慢と偏見」と改題)以来6編の小説を書いていますが、いずれも匿名ないし偽名で出版していたので、生涯の殆どにわたって平凡な牧師の慎ましい娘(所謂「オールドミス」)のままでした。それが死の前々年、1815年になって時の摂政(後のジョージ4世)が愛読者であったことから作者であることが露見し、ジェーンは未刊の著書「エマ」をこの王族に献呈するハメになったというエピソードがあります。

 

中性騎士道物語の亜型としての「夫捜しの巡礼」

18~19世紀の女性たちにとって結婚ということは決定的な重要性を持っていました。当時、一定の階層以上に生まれた女性たち向けに用意された職業はありませんでした。職業に就くための訓練もされていなかった。「めぐり会う時間たち」で紹介したヴァージニア・ウルフはブロンテ姉妹の半世紀後を生きていますが、それでもなお学校教育は受けていません。せいぜい家庭教師による自宅学習です。

その家庭教師こそ、牧師の家に生まれて資産にも恵まれないジェーン・オースティンやブロンテ姉妹にとっての許された唯一の職業でした。彼女たちの紡いだ物語は、こうした時代の女性たちのもっとも普遍的な夢に触れているのです。それは夢でしたから、実現はしないのです。ここに挙げた4人の中で結婚できたのはシャーロット・ブロンテだけ、それも父親の強い反対で30歳を過ぎてからのこと、しかも妊娠中毒で死んでしまいます。

彼女たちの描くヒロインはいずれも自らの誠実さという点で強いプライドを持っていました。逆に言えば、「邪悪でない」という一点に誇りをかけなければならないほどに何も持たない人々だったのです。この状況は人々を信心深くします。神のご加護なしには生き残れない弱者だったからです。

ホメーロスの昔から英雄や半神たちの冒険は吟遊詩人(唄を歌う乞食)たちによって歌い継がれ、中世キリスト教社会になると聖杯や聖衣を求めて諸国を放浪する騎士たちの伝説になりました。そこでは騎士が自らの名誉を捧げる王妃や姫たちへのアモール(愛)が唄われていました。しかし17世紀になると、騎士物語に熱中する男ドン・キホーテ(ラマンチャの騎士)がマンガ的な滑稽さで描かれるようになります。騎士道物語は飽きられたのです。これに代わって登場したのが、女たちの聖なる巡礼物語だったと思います。神の定めた唯一人の男性と出会うための彷徨です。

例えば、ジェーン・エアが雇い主のエドワードに言います。「あなたの心から糸が出て、それはあなたの血を載せた赤い糸、それが私の心につながるのです」。こうして「宿命の男性」と結びつくことで成立するのが「聖なるホーム、スウィートホーム」で、騎士道物語における聖杯にあたります。こうしてアモール(ラテン)、アムール(仏語)、ラヴ(英語)は聖化され、ビクトリア朝的家父長制(ヴァージニア・ウルフが宿敵としたもの)を下支えすることになりました。

このようにして「聖化された恋」という概念は日本にはありませんでしたので、夏目漱石を始めとする明治の文人たちは大いに惑い、悩み、その苦悩の中から「恋愛」という言葉をひねりだしたのです。しかしそれでも「恋愛する女」は描けなかった。漱石の小説に出てくる女性たちが三四郎の美禰にしろ、虞美人草の藤尾にしろ、なんとなく神秘的ではあっても、奇妙なのはそのせいだと思います。

*ジェーン・エア(シャーロット・ブロンテ)〔2011〕

(監督)C.J.フクナガ (主演)ミア・ワシコウスカ

*嵐が丘(エミリー・ブロンテ)〔1992〕

(監督)ピーター・コズミンスキー (主演)ジュリエット・ビノシュ、レイフ・ファインズ

 

(次に続く)