日々の小さな会話-その6

裸の母を抱く夢

 

〔会話〕

CL「息子の暴言がだんだんひどいことになってきました」

S「暴力もありますか?」

CL「私が実家に逃げていた二ヶ月前からはありません」

S「お父様には手を出さないんですよね」

CL「父親のことは怖がっています」

S「あなたが実家に逃げてからは不登校がなくなったのですよね」

CL「私と入れ替わりに息子が実家で暮らすようになって、数ヶ月いました。弟がまだ独身で実家にいるので、この叔父との関係で学校に通えるようになったと思います。高校進学と重なったので、高校には初日から出て、それをきっかけに家に戻りました」

S「クラスであったことをお母さまに話したりしますか?」

CL「それはウルサイくらいにしますね。私が顔を向けて熱心に聞いていないと、嫌がらせのように耳元で、『このバカが、ちゃんと聞くこともできねぇーのかよ』となじります。私、今、在宅ワークが夕刻まで続いているので、もうちょっと待ってと言っても聞いてくれません。ただ、夫も在宅ワークで隣の部屋に居るので大声は出しません。耳元で私をなじりながら、クラスであったこまごましたイキサツをすべてかたろうとするのです」

S「お母さんと一緒に登校していたいんでしょうね」

CL「職場から電話があったりすると、仕事ムードになるので、不満そうに離れますがすぐ戻ってきます」

S「変なこと訊いてもうしわけないのですが、あなたはお母さんとセックスする夢って見たことありますか?」

CL「・・・ありません」

S「そのうち見ますよ」

CL「え?」

「究極の人間関係なのでね。だって誰でも母の胎内から裸で生まれてきて、母の胸の中で人になるじゃないですか」

CL「今、びっくりして少し動揺しています。でも、そう言えば今度のことで母親のところに逃げ込んでから、今までの母親とは違う関係にはいってきたという実感はあります。私ずっと、母からの関心を貰えない子とおもっていたのですが、先生に言われて母の懐に飛び込んでみたことでホントにいろいろ変化が起こりました」(途中から涙ぐむ)

 

〔解説〕

「裸の母を抱く夢」は類型夢(定型夢)というほどではないが、治療中にときどき耳にする。そのとき夢見た人は大きなショックを受け、それを治療者に話そうか否かとためらうのが普通で、多くの人は精神療法など受けていないだろうから、そのままに放置される場合が殆どだろう。

実はこの話しをする数日前のグループ・スーパーヴィジョンの場で、この話しが出て、その時にも、症例を提示した治療者は固唾を飲む感じで慎重に話しを聞いたと言っていた。

ここに挙げた会話は不潔恐怖があって中学進学の頃から登校渋り→不登校に進んだ息子のために来院した患者(40歳代女性)とのものである。1ヶ月ほど前、息子は父親の不在時に暴れて母親は近県の実家に逃げ、数週間そこで過ごした。このことがきっかけで私との治療関係に入ったのだが、その間に自身の母親との関係が変わったことに。この女性は気づいた。ただし、母親に対する想いが変わったということで、生活場面の現実に変化があったわけではない。

10歳代半ばの男児はプライドの塊で、それなりの進学校(6年制)に入れられているらしいこの息子も出来れば、鼻高々の成績でいたかったのだろう。不潔恐怖や洗手強迫に追われて入浴時間の短縮もままならない身では成績の急上昇も見込めないというのが現状だろう。この息子にとっては不幸なことに、大嫌いで口もきかない父親は東大出、日頃「バカ」「ノロマ」と罵る母親も国立大出だ。つまりこの子にとっては最低でも母親の国立大クラスには合格しなければならないが、今の実力はマーチ(明治、立教、中央、法政、等)ならなんとか、というレベルだとのこと。母親とは言え、この現実は苦しいだろうと同情するしかない。

この子は母親にだけ、彼女の耳元で罵る。恐ろしすぎる父親に聞かれないためだ。その父親が最近は在宅勤務であることも息子を窮地に立たせている。

こうして行き止まりに佇む感じになった女性に向かって、私は「裸の母とセックスする夢」という脱線した話題を振った。隘路に入って呻吟している人の話を聞いて一緒に悩んでみても始まらないから、少し動揺して貰おうと思った。

この質問をしたのは、母親の耳にささやく息子の姿にエロティックなものを感じたからである。もっと踏み込んで言うと、母親ガートルードにささやくハムレットを連想した。ハムレットスからオイディプス(エディプス)王までの距離はわずかだ。

息子さんとの不毛(と感じられていたと思う)な関係に悩むこの女性の心の中に「異様なモノ」を突然割り込ませたわけだ。これによって、その女性自身の母との関係に変化が起これば、そのきっかけを作った息子の苦悩に対する気構えも変わる可能性がある。

このケースについてはこれ以上語らない方が良いだろう。話題を変える。折角、夢の話しをしたから、フロイトが「夢判断」の中で述べている裸体の話しに移ろう。

着衣の人々が行き交う中で自分だけが裸体、ないし下半身露出のままでいて、それに気づいた夢見る人が慌てるという夢を、フロイトは「類型夢(定型夢)」の1つにかぞえた。この夢の特徴は行き交う人々がすべて自分の裸体を気にしていないことで、フロイトはこれを羞恥というものの本質と指摘した。確かに羞恥と言われるものの多くは自分だけが気にしていて他人の評価に基づくものではない。

フロイトが「類型夢」としたものは他に2つあって、ひとつは学生時代の試験の夢。突然自分が怠けていて準備していなかった試験が迫っていることに気づき、狼狽して目覚め、もはや試験の心配をする年でもなくなっていたことにホットするという夢で、これは私にも何度かあって、希なモノではないだろう。「夢は願望充足」というフロイト説に添えば、「ホットする」というところがポイントなのだろうが、実際にこの夢を見た人は、それをきっかけに借金の支払いやら、原稿の締め切りやらの現実の切迫感に気を取られることになるのだろう。

もうひとつは、近親者が死ぬ夢で、フロイトの叙述では、こちらの方が「試験の夢」の前に置かれている。ここでは先に挙げた会話につなげて落としたいので順序を変えた。

フロイトは近親者の死の夢を「意識」に上らせるわけにはいかない願望の充足の好例と述べている。幼児期に自分を母の膝から追放した「新しい赤ん坊」、つまり弟妹の消去(死)をこい願う幼い頃の願望の充足で、それも弟妹や従兄弟たちの背に羽根が生えてどこかへ飛んでいったという婉曲までつけ加えていた例を挙げている。

こうした願望は成人になる間に意識からは完全に排除されてしまうので、夢を介して感得しても、その意味を解読しようとは思わない。奇妙な夢を生々しい現実感を伴って憶えていることに一時はいぶかしい想いを抱くもののじきに忘れてしまう。しかし、たまたま精神療法を受けていたりすると、その意味を治療者に指摘されて愕然とすることになる。誤解されると困るので付け加えると、治療者は「意味」を断定するわけではない。「そう取れるかも」という「可能性」に触れるだけである。しかし、その示唆による連想を被治療者が語るとき、その会話を夢解釈というのである。

裸の母を抱く夢は、なんとなく「夢判断」(原著の刊行は1900年)の中で取り挙げられていたような気がして、あの長々しい文章(高橋義孝、他訳、日本教文館社版で上下2冊)を読み返してみたのだが、そのものズバリの記述は見当たらない。

ただこれに関連する記述は、上記の「近親者が死ぬ夢」の中で、「性別が同じ親の死ぬ夢」として、エディプス王の神話と、それに基づくソフォクレスの悲劇が詳しく語られている。「読者の皆さんは不快であり得ない話しと思うかもしれないが」という断りを入れていることが今回呼んだときには印象的だった。

これに類する夢の場合、死ぬのは父、そして母と結ばれるという最悪の罪と罰のおまけつきで見る夢だから、見た早々に無意識の闇に放り込まれるだろう。しかし戯曲も小説もこうした禁忌の周辺を巡って創られる。シェークスピアの戯曲ハムレットについてはフロイト自身も触れている。日本最古の小説「源氏物語」(1008年)の冒頭も、近親姦願望に触れていると思う。