「生きづらい」と思っている人たちへのひとこと

この秋に開かれる日本嗜癖行動学会(2018/10/12~13、福岡市中央区渡邊通り2-1-82,電気ビル共創館・みらいホール)では、二日目の市民向け講演会の演者を頼まれている。

以下は、その日に話す概要をプロシーディング(学会プログラム)用に送ってくれと言われて書いたものである。この学会の総合テーマは『「嗜癖の表層と深層を架橋せよ」~生きづらさの理由』というもので、私に与えられた講演会のテーマは「嗜癖と生きづらさ」だった。私はこれを「生きづらさと嗜癖」と変えて以下のようなレジメを送った。まずこれを紹介して、現代人が感じている「生きづらさ感」がどこから来るのか探ってみよう。

以下、これから述べて行くことの目次と要旨。

1.情報化社会の生きづらさ

(1)一級市民と二級市民

現代の市民は情報発信可能な、少数の一級市民と、情報の受け手であることに終始する二級市民(非一級市民)に階層化されている。その階層分化は否認され、言論化、活字化もされていないが、表現しようのない憤怒は大衆の間に蓄積されていて、爆発の機会をうかがっている。二級市民の中に広まる電子的情報発信(Twitter、Facebookなど)は、真の発信力の裏付けを欠いた偽の発信である。

(2)自分決定権の重圧

出産、婚姻、進学、就労といった市民生活の様々な局面で、現代市民は自己決定を迫られている。しかし最適な決定に必須の情報を彼らの殆どは持っていない。彼らにとって比較的無難な選択は自己決定権の放棄、つまりヒキコモリである。

(3)健全市民からの滑落恐怖

現代市民社会の中では「健全」であることの水準(学歴、職歴、知名度、社交性、など)が高くなっており、それに応じて健全市民層からの滑落への恐怖も高まっている。このことと大衆が精神障害やパーソナリティ問題に多大な関心を向けることとは無縁ではない。

2.嗜癖の効用

(1)酔いの中の自己拡大

情報化社会の中で主体的に生きられない二級市民は空虚かつ退屈である。しかし彼らも、この社会の影響を受けて根拠のない自己肥大を持て余しており、各種の嗜癖がもたらす陶酔によって疑似解決を図っている。

(2)有効な否認

否認や分割に熟達しないと嗜癖の世界に留まれない。これらは時に有効である。自らに受け入れられない「真実」なるものに直面化することが幸せとは限らない。

(3)医療化の利便

現在、インターネット依存、ギャンブル依存を含め、全ての依存症は「病気」とされており、社会規範の適用による処罰から免責されている。これもまた嗜癖の効用である。

3.陶酔としての脱嗜癖

上記を前提としつつも、敢えて嗜癖のもたらす夢幻と茫漠から抜け出そうとすれば、そこには再び陶酔が待っている。脱嗜癖は嗜癖そのものと同じく、自己拡大感と自己確信をもたらし、それ自体ひとつの嗜癖と化す。